一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

Menu

フラッシュ

2012/01/25 No.152TPP大枠合意とその含意

石川幸一
(財)国際貿易投資研究所 客員研究員
亜細亜大学 教授

はじめに

2011年11月12日にTPP交渉参加国の首脳会議は、TPPのおおまかな輪郭(broadoutlines:以下は大枠合意)に達したことを発表した。「大枠合意」は、TPP交渉参加国の公表した交渉の進展についての唯一の公文書である。日本語訳で7頁と詳細なものではないが、交渉がどの程度進み、何が論点となっているのか、また、交渉の方向性などを大筋であるが読み取ることが出来る。「大枠合意」の構成は、重要な特徴、範囲、条文案、関税スケジュール(譲許表)およびその他の市場開放パッケージとなっている。本論では、日本語訳は外務省仮訳を利用している(注1)。

1.大枠合意の特徴

大筋合意で新に示された事項および方向性が示された特徴は、①一括受諾、②新たな課題への取組み、③途上国への配慮と協力、?センシティブな分野の認識である。

① 一括受諾:「範囲」で、一括受諾(singleundertaking)が明確に示されている。全ての重要な貿易および貿易関連分野をカバーするとし、新たな貿易課題および分野横断的課題を含むとしている。一括受諾方式では、協定の全ての分野を受け入れねばならず、自国に不利となる分野を除くことは出来ない。

② 新たな課題:21世紀のFTAとしてイノベーションの促進、デジタル経済、グリーン・テクノロジーを含む革新的な製品およびサービス貿易、投資を促進すること、サプライ・チェーンの発展が随所で強調されている。環境では、海洋漁業、気候変動、生物多様性、環境物品・サービスなどが新たな課題として議論されている。

③ 途上国への配慮と協力:「範囲」で、「貿易に関する能力の構築、技術支援、および自由化約束の適切な段階的実施などを通じ、途上国メンバーが直面するセンシティビティおよび特有の課題に適切に対応する必要性に合意した」と述べ、途上国への配慮と支援を打ちだしている。「条文案」でも途上国への配慮と協力が明示されている。「協力および貿易に関する能力の構築」では、途上国がTPPの目標を達成することを支援する協力および能力構築の活動がすでに実施され、計画されているとしている。「政府調達」では、全ての参加国による同等の調達の範囲を目指すとし、途上国については経過的措置により調達市場を開放を促進する必要性を認識しているとしている。「知的財産」では、TRIPS協定と公衆衛生に関するド−ハ宣言についての共有する約束を条文案に反映することに合意している(後述)。

④センシティブな分野の認識:途上国への配慮と柔軟な対応に加えて、「市場開放パッケージ」でサービス貿易について特定の例外を認めるとし、政府調達では、相互のセンシティビティを認識するとしている。米国を含め、各国にセンシティブな産業、分野があり、あまりに高いレベルの自由化や規律を求めると交渉へのハードルになる可能性がある。協定文案の文言が、法的義務を示すshallからより弱いshouldになっているという情報もあり、9カ国による交渉と合意を目指した柔軟かつ現実的な姿勢に移りつつあるのではないかと推測される。

2.市場アクセス分野における大枠合意と論点

(1)物品の貿易

大枠合意では、「協定文は各国がWTOでの義務を超える約束を含む関税撤廃と非関税障壁の撤廃も取り扱われている」となっている。TPPの関税率表は全ての物品を対象とし、タリフラインで1万1000品目程度となるとしている。大枠合意では、全品目の関税撤廃との表現はない。これは、米国が主張するように既存のFTAを残すと例外品目が残るという問題で合意に達していないためと考えられる。たとえば、米豪FTAでは米国は砂糖や乳製品など108品目を除外し、牛肉の自由化は18年をかけている。また、乳製品、落花生、タバコ、綿などに関税割当が設けられている(注2)。関税譲許表の1万1000品目の関税撤廃・削減について9カ国で交渉するのは膨大な作業となり、交渉には相当の時間を要する。

繊維と衣料品について「税関協力、原産地規則、特別セーフガード」などを議論しているとしている。米韓FTAでは、繊維・衣料品では原産地規則、農業ではセーフガードを規定している。TPPでも、同様な規定が盛り込まれる可能性がある。

なお、米韓FTAでは、医薬品および医療機器に関する章が設けられ、委員会が設置されている。米豪FTAでは医薬品に関する付属書があり、新薬の保険適用に関する新薬の価格決定の透明性の確保などが規定されている(注3)。医薬品の価格決定や保険適用は、米国が重視している分野であり、競争とサービス貿易にも関連している。

(2)サービス貿易

1)越境サービス
TPPのサービス貿易作業部会は、越境サービス、金融サービス、電気通信、商用関係者の移動の4部会となっている。FTAのサービス貿易の規定は、一般にWTOのGATS(サービス貿易一般協定)に準じている。GATSの主な規定内容は、内国民待遇、最恵国待遇、市場アクセス、現地拠点、非適合措置、国内規制、専門資格と登録、利益の否認、資金の移転と支払などである。市場アクセスでは、①サービス供給者の数の制限、②サービスの取引総額または資産総額の制限、③サービス総産出量の制限、④サービス提供者の雇用者の制限、⑤企業形態制限、⑥外資制限、の6つの措置を、自由化を約束した分野で採ることを禁じている。なお、GATSの対象とするサービスは、政府の権限の行使として提供されるサービスは対象外であり、FTAでも同様である。FTAについては、GATSの5条で「相当な範囲の分野を対象にする」と規定されている。

大枠合意では、「越境サービスの条文案の核となる要素のほとんどについて合意した。この合意は、公共の利益のために政府が規制する権利を維持しつつ、電子的に提供されるサービスや中小企業によるサービスを含む、サービス貿易の公正で開放的な透明性のある市場を確保するための基礎となる」としている。また、「ネガティブ・リスト方式を基礎とする交渉を行っており、これはサービス貿易を包括的にカバーすることを前提としつつも、特定サービス分野の約束に関する特定の例外について交渉することを可能とする」としている。GATSの大半の規定に合意し、自由化を包括的に行うことを意図しつつも例外分野を明記するネガティブ・リスト方式を採用し、例外を認めていることが示されている。電子的に行うサービスは、サービス貿易の4つのモードのうち第1モードに該当しており、米国サービス業界が重視している。

2)金融サービス
金融サービスは、P4では交渉されておらず、投資とともに2008年3月から交渉されることになっていた。TPPでは、独立した章を設けて内国民待遇などの基本ルール、金融サービスに特有の定義や信用秩序の維持などの特有のルールが規定される。市場アクセスはネガティブ・リスト方式を採用される。大枠合意では、「透明性、無差別性、新しい金融サービスの公正な扱い、投資保護およびこれらの保護のための効果的な紛争解決救済措置が改善される。金融当局が金融市場の統合性と安定を確保するために行動をとる権利が確保される」としている。

なお、WTOでは、金融サービスの特定の約束は、GATSの金融サービスに係る約束に関する了解(金融了解)で、加盟国が任意で、現状維持、市場アクセス(公的機関が購入する金融サービス、国境を超える取引、業務上の拠点、新たな金融サービス、情報の移転および処理、人員の一時的な入国、差別的でない措置など)、内国民待遇を約束している(注4)。金融了解を約束しているTPP交渉参加国は米国、豪州、ニュージーランドである。日本も約束済みである。こうした高いレベルの自由化が先進国以外のTPP交渉参加国に受け入れられるかが論点となろう。

3)電気通信サービス
電気通信サービスは、独立した作業部会でGATSの電気通信に関する付属書の規定およびTPP参加国の既存のFTAで規定されている事項について議論されている。大枠合意では、「相互接続や物理的な設備へのアクセスを通じて電気通信サービス提供者に対し合理的なネットワーク・アクセスを与えることが必要という幅広い合意に加え、規制プロセスの透明性の強化や、不服申立ての権利を確保する広い範囲の規定についてほぼ合意しつつある。技術の選択や高価な国際携帯ローミング(区域外で他の接続業者に接続して使用すること)料金への対応に関する提案も出されている」としている。

GATTのウルグアイ・ラウンドでは、付加価値電気通信分野の交渉は妥結したが、基本電気通信分野は合意できず、WTO創設後も交渉が行われ、最終的に「サービス貿易協定第4議定書」が98年に発効した。第4議定書には、基本電気通信の規制の枠組みの原則を規定した参照文書(ReferencePaper)が組み込まれている(注5)。参照文書では、①競争条件確保のためのセーフガード(反競争的行為の防止、反競争的な内部相互補助の禁止、競合者から得た情報を反競争的な結果をもたらすように利用するなど)、②相互接続の確保、③ユニバーサル・サービス、④免許基準の公の可能性、?独立の規制機関、⑤希少な資源の分配と利用、が規定されている。

(3)商用者の一時的入国

大枠合意では、「商用関係者の一時的入国の申請の処理の透明性と効率を向上させるための一般規定について実質的に合意を終えており、商用関係者の個々の範疇について議論を行っている」としている。商用関係者の範疇は、短期商用、投資家、貿易業者、企業内転勤、サービス提供者などである。単純労働者の受入れは対象外であり、日本の一部のEPAで対象としている看護師、介護福祉士はTPPでは議論の対象となっていない。

(4)投資

P4には投資の規定がなく、2008年3月から交渉が開始されている。FTAの投資章は、投資の保護、自由化、紛争解決などを規定している。主な規定は、投資前を含む内国民待遇、最恵国待遇、公正かつ衡平な待遇、間接収用を含めた収用および補償、資金の移転、パフォーマンス要求の禁止、例外、紛争解決などである。

資金移転については、送金の自由を認める一方で国際収支擁護のための措置として資金移転の制限が認められているが、米国はこうした国際収支例外をFTAでは拒否してきた。しかし米韓FTAでは韓国に限り国際収支悪化など外国為替危機時に資金の移転を一時的に制限することが認められている。P4では、国際収支例外を規定するとともにチリについてサービス貿易章の付属書で同様な措置が認められている。

パフォーマンス要求は、①輸出要求、②現地調達要求、③国内物品の購入要求、④輸出あるいは外貨稼得高による輸入制限、⑤輸出あるいは外貨稼得に応じた販売制限、⑥技術移転要求、⑦役員国籍要求、などの措置が対象となる。こうした規定の大半は日本のEPAの投資章にも含まれている。

日本のEPAを含め多くのFTAには、締約国政府が協定義務に反し投資家に損害を与えたときに投資家が締約国政府を提訴あるいは国際仲裁に付託できるという投資家対国の紛争解決(InvestorStateDisputeSettlement:ISDS)規定が設けられている(注6)。ISDSで問題になるのは間接収用である。NAFTA締結後米国が提訴される例が増加したことから米国は近年締結したFTAでは間接収用の範囲を明確にするようにしている(注7)。たとえば、米韓FTAでは、公衆衛生、公安、環境保護、不動産価格安定化など公共福祉を目的とした非差別的措置は、まれな場合を除いて間接収用を構成しないと規定されISDSの対象とならないことを規定している。

大枠合意では、「無差別、最低限の待遇、収用についてのルール、パフォーマンス要求の禁止などを確保する条項についての進行中の交渉を含む法的な保護が条文案に含まれる」とし、「適切なセーフガード(範囲と対象は議論中)の下で、迅速、公平で透明性のある投資家対国家の紛争解決条項を含める」としている。また、「公共の利益のために規制を行なうTPP参加国の権利を保護する」としている。ISDSは条件付きで規定され、公共の目的のための政府の措置はISDSの原則的に対象外とするものになると考えられる。

3.ルール分野における大枠合意と論点

(1) 原産地規則

TPP交渉参加国間には27の2国間FTAがあり、原産地規則の統一が課題となっている。また、1万1000品目についての原産地規則の策定は大変な事務作業を要すると思われる。大枠合意では、「共通の原産地規則の策定に合意し、客観性、透明性、予見可能性を備えたものにすることと累積(TPP参加国の原材料を自国の原材料として認める)についても議論している」としている。日本のEPAは第3者証明制度(一部は認定輸出者の自己証明制度)だが、P4をはじめTPP加盟国間のFTAは自己証明制度を採用しているものが多い。

米国は、ヤーンフォワードを繊維・衣料品の原産地規則としたい意向といわれており、マランティスUSTR次席代表はベトナムのホアン商工相と会談した際にヤーンフォワードを提案した(注8)。ヤーンフォワードは米国のFTAで採用されている繊維製品の原産地規則である。米国が懸念しているのは、中国製の糸を使用したベトナムからの繊維製品の輸入急増である。ヤーンフォワードが米国とベトナムのFTAで採用されると、ベトナムはTPPにより無税で米国に輸出するには自国産か米国産の糸を使わねばならなくなる。

(2)貿易円滑化

貿易円滑化については、P4の規定をベースに規則の透明性、手続の簡素化などが協議され、シングル・ウィンドウ(手続きの窓口一本化と電子化)、サプライ・チェーンの効率化なども議論されているといわれる。大枠合意では、「税関に関する条文案の重要な要素および予見可能で透明性があり、貿易を迅速化し促進する税関手続きを設けることが非常に重要であることに合意した」としている。米国のEDS(国際物流サービス)企業の要請により、EDSをサービスのカテゴリーとして認知した米シンガポールFTAでは、迅速な通関に関し、①到着前の情報処理、②(可能であれば)電子的な手段により全ての産品を単一書類(singledocument)での申請(シングル・ウィンドウ)、③必要書類を最小にする、④関税などの支払いの後払い、⑤書類提出から6時間以内の貨物引渡しを行う、を規定している(注9)。大枠合意でも「物品が税関の管理下から出来るだけ早く引き取られるようにする」ことが明記されている。P4では、物品の到着から48時間以内の引取りとなっていた。

(3)衛生植物検疫(SPS)と貿易の技術的障害(TBT)

大枠合意は「条文案はWTOのSPS協定の権利義務を強化発展させることに合意した」としている。また、「条文案には科学、透明性、地域主義、協力および同等性に関する一連の約束が含まれるであろう」としている。

WTOのSPS協定では、国際機関が作成した危険性評価の方法を考慮しつつ、自国のSPS措置をそれぞれの状況において適切なものに基づいてとることができる(第5条1項)となっており、国際的な基準より厳しい措置をとることができる。ただし、そうした措置は科学的証拠に基づいており、適切な保護の水準を達成するために必要以上に貿易制限的であってはならないと規定されている(第5条2項、6項)。

措置の同等と地域主義はP4に含まれているが、日本のEPAには規定がない。措置の同等は、輸出国の措置が輸入国と異なるが、同レベルの保護水準を達成していることが証明される場合は同等の措置として輸入国が認めるという概念であり、地域主義は、病害虫発生国であっても清浄地域(病害虫の発生していない地域)において生産されたものであればその輸入を認める概念である(注10)。

TBTについては、P4の規定とWTOのTBT協定をベースに議論し、基準の策定過程に相手国の利害関係者の参加を認めることなどが議論されているといわれる。大枠合意では、「条文案はWTOのTBT協定の権利義務を強化発展させるものであり、規制当局が健康、安全、環境を保護し、その他の正当な政策目的を達成することを助ける」としている。また、「遵守期間、適合性評価手続き、国際規格、制度的メカニズムおよび透明性に関する約束が含まれる」とし、「規制に関する協力、透明性、特定分野を対象とする提案などについても議論している」としている。透明性については、規格策定段階で相手国関係者の参加を認めることが考えられる。米韓FTAでは、自動車作業部会を設置し、必要に応じ専門家と利害関係者が参加し、任意規格、強制規格、適合性評価手続きについて協議することを規定している(注11)。

(4)貿易救済措置

大枠合意では、「WTO協定上の権利と義務を確認することに合意し、透明性や適正手続きの分野で既存の権利・義務を発展させた義務などについての新提案の検討、暫定的な地域セーフガードメカニズムに関する提案も出されている」としている。TPPでは、市場アクセスに繊維・衣料品に関する章、農業に関する章が設けられる模様であり、セーフガードが規定される可能性がある。繊維・衣料品についての大枠合意では、特別セーフガードについて議論を行っているとしている。

米韓FTAでは、①一般セーフガード、②繊維・繊維製品セーフガード、③農産品対象セーフガード(韓国)が設けられており、2010年12月の最終合意で自動車セーフガード(米国)が設けられた。

(5)政府調達

TPP交渉では、政府調達協定(GPA)を交渉のベースとし、GPA並みの規定とするのか、それを上回るものにするのかについて交渉が行われている。TPP参加国のうちGPA締約国は、米国とシンガポールの2カ国である。GPAは、適用範囲、内国民待遇と最恵国待遇、原産地規則、入札手続き、供給者の資格、調達の効果を減殺する措置(オフセット)、透明性、適用除外などを規定している。適用範囲は、中央政府機関、地方政府機関、政府関係機関であり、基準額は各締約国の付表で提示される。

大枠合意では、「基本原則と手続きに合意し、特定の義務について策定している」とし、「途上国について経過措置により調達市場を開放する必要を認識しながら、全ての国が同等のレベルの調達市場を開放することを目指している」としている。また、「相互のセンシティビティを認識しつつ相互の政府調達市場へのアクセスを最大にするように対象範囲の拡大を追求しながら交渉が行われている」としている。

対象となる政府機関(特に地方政府機関)、調達基準額、対象となる物品とサービス分野、除外する物品とサービス分野が論点となる。米韓FTAの規定は、GPAをほぼ準用しており、適用対象機関は中央政府機関のみで地方政府機関と政府関係機関は対象となっていない。基準額は、WTOでの約束では中央政府の財サービスの場合、米韓とも13万SDR(米国19万3000ドル、韓国2億1000万ウォン)からほぼ半減(米国10万ドル、韓国1億ウォン)させた(注12)。

(6)知的財産

TPP交渉では、米国は米韓FTAのようなWTOの知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPs協定)の保護の水準を上回る規定(TRIPsプラス)を主張している。米国とFTAを締結している豪州、シンガポール、チリ、ペルーは、TRIPsプラスの規定を受け入れることは可能と思われる。一方、ニュージーランドはWTOのTRIPs(知的所有権の貿易関連の側面に関する規定)協定の規定に準拠することを主張しており、ベトナム、マレーシア、ブルネイも米国を支持するかどうかは判らない。

大枠合意では、「TRIPs協定の権利義務を強化発展させることで合意し、商標、地理的表示、著作権と関連する権利、特許、営業秘密、一定の規制製品に必要なデータ、知的財産の執行、遺伝資源と伝統的知識を含む多くの形態の知的財産に関する提案は議論され、TRIPs協定と公衆衛生に関するドーハ宣言についての共有された約束を条約文に反映することに合意した」としている(注13)。TRIPs協定と公衆衛生に関するドーハ宣言では、強制実施や並行輸入をTRIPs協定に柔軟性に含まれるとし、加盟国(途上国)公衆衛生を保護するための措置をとることができるとしている。生産能力の不十分な国に対する強制実施(同宣言6項)については、2003年のTRIPs理事会で、強制実施権を利用して生産した医薬品をこうした国に輸出することが条件付きで認められた。

リークされたといわれる知的財産についてのテキストをみると米国の提案は36頁の詳細なものである(注14)。著作権の保護期間を著作者の死後70年、非営利目的の侵害にも罰則を設けるなど保護色の強い提案となっている。

(7)競争

P4、米国の締結したFTAなどTPP交渉参加国が締結したFTAを参考に協定案を作成しているといわれる。大枠合意では、「条文案は競争的なビジネス環境、消費者保護の促進、TPP交渉参加国企業の対等な競争条件の確保を促進する」とし、「競争法と競争当局の創設・維持、競争法施行における手続きの公平、透明性、消費者保護、私的訴権、協力についての約束を含む条文案について進展をみている」としている。

米国のTPP企業連合(USBusinessCoalitionforTPP)の競争ワーキンググループは、米韓FTAを最低基準(startingpoint)とする協定を要望している(注15)。米韓FTAは、競争法および反競争的事業行為、指定独占、国家企業、価格の相違、透明性、越境消費者保護、協議、紛争解決などが規定されている。ワーキンググループの案は、国家企業を国有(stateowned)企業と明示し、反競争的行為の禁止、国による支援の制限、所有の削減、透明性の確保など国有企業に焦点を当てたものとなっている。指定独占では、内部相互補助を反競争的慣行の例として明示している。一方で、反競争的事案の対象となった企業の権利保護を詳細に規定している。

豪州には政府が医薬品の卸売り価格を管理する医薬品支援制度(PharmaceuticalBenefitSystem:PBS)があり、米豪FTAで米国が知的財産権の保護と公正な競争の面で問題としたが、豪州国内での反対からPBS制度は維持された。ただし、同制度についての検討のために医薬品作業部会が設置されている(注16)。USTRは2011年9月に発表した「医薬品へのアクセスの拡大のためのTPP貿易目標」で、ジェネリック医薬品および革新的医薬品双方について政府の健康保険払戻制度を運用において透明性と手続きの公平性の基本規範が尊重されることを求めている(注17)。

4.新たな分野

(1)環境と労働

環境と労働は米国がFTAで最も重視している分野の一つである。米国では、2007年5月の行政府と議会民主党の合意(超党派合意:BipartisanDeal)で、①ILOの基本的労働基準を貿易協定で義務付け違反は紛争処理規定に従う、②多国間環境協定を貿易協定に盛り込む、などが決めている(注18)。米国のFTAにおける環境と労働に関する規定の目的は、環境と労働の保護である。同時に、環境や労働の保護を理由として必要である以上に貿易を制限する「偽装した保護主義」を防ぐことも規定に含まれている。

TPP交渉では、環境については、P4で規定されている事項(①国際的な環境約束に調和した環境法・規制・政策・慣行の保持、②環境法・規制を保護貿易のために利用しない、③貿易投資を奨励するために環境法・規制を緩和しない、など)に加え、新たな課題が議論されている。大筋合意では、「環境に関する条文案が環境保護の強化に資する貿易関連課題についての効果的な規定を含むものであるべきという考え方を共有し、協定の実施を監督する効果的な制度的な枠組と能力構築のための協力枠組みについて議論している」とし、「海洋漁業、その他の環境保全についての課題、生物多様性、特定外来生物、気候変動、環境物品・サービスなどの新たな課題に関する提案についても議論している」と述べている。

労働についての規定は、貿易投資奨励のために労働基準を緩和しないこと、国際的な労働基準の遵守などを含むものになると考えられる。P4や米国のFTAでは、ILOの労働の基本原則を基本的な約束として含んでいる。ILOの労働の基本原則と権利宣言では、基本的な権利として①団結の自由と団体交渉、②強制労働の廃止、③児童労働の廃止、④雇用と職業に関する差別の撤廃、などが掲げられている。労働についての大枠合意では、「労働者の権利保護、労働に関する相互の関心事項についての協力など労働章に盛り込むべき要素について議論をしている」とし、「労働者に福利厚生、雇用可能性を高め、人的資源開発やパフォーマンスの高い職場を促進する職場慣行に関する2国間および地域的な協力を通じ、労働者が21世紀に直面する課題に対応する上での協調を行う」としている。

(2)分野横断的事項

P4に規定がない新たな交渉事項である。米国が重視している分野であり、規制の調和(RegulatoryCoherence)、中小企業、透明性、生きた協定(livingagreement)、開発、競争力(サプライ・チェーン)、政策の統合、地域統合があげられている。

大枠合意では、「規制の調和、競争力とビジネスの円滑化、中小企業、開発」の4つの新しい課題に取り組みAPECなどでの作業を発展させるとし、新たな貿易課題として、「デジタルエコノミー、グリーン・テクノロジーを含む革新的な製品とサービスの貿易と投資の促進と競争的なビジネス環境の確保」をあげている。生きた協定については、「新たな課題や新規加盟国を含む協定の拡大により生じる新たな事項に取組み協定を更新することを可能にする」としている。

規制の調和について、米国議会の資料は、「非関税障壁を撤廃し規制制度をより互換的で透明なものにする試みであり、政府の規制を行う権利に介入するのではなく、現存および新たな規制について自国内の規制の整合性と協力をTPP参加国間に拡大していくことが目標である。国内の規制の整合性を達成するための一つの方法は、米国の行政管理予算局規制業務室(OfficeofInformationandRegulatoryAffairsintheOfficeofManagementandBudget:OIRA)のような規制調整機関を作ることである」と説明している(注19)。これによると、国内規制制度の整合性を図ることとTPP加盟国間の規制制度の透明性を向上し両立できるように協力することが狙いとなっている。

おわりに

野田総理は、2011年11月のAPECハワイ首脳会議でTPP交渉参加のために関係各国との協議を開始することを表明した。TPP交渉は2012年末までの妥結を目指しているが、大枠合意では議論が続いている分野が大半である。また、1万1000品目についての関税撤廃方式や原産地規則の交渉など膨大な作業が残っていることから、2012年中の妥結は難しいという見方が強い。日本の交渉参加は2012年春以降になるだろうが、交渉に参加する余地は大きいといえる。

TPPは、多くの分野でルールを決めるほか、21世紀型の貿易協定として、サプライ・チェーン、規制の調和、イノベーション、デジタル経済やグリーン・テクノロジーなど多くの新たな課題に取組んでいることが大枠合意で示されている。こうした分野の交渉に参加できる意義は大きい。また、関税および物品・サービス、投資に対するその他の障壁を撤廃する包括的な市場アクセスを目指すとしながら、柔軟な対応を行うことを示してきており、日本国内で慎重な対応が必要とされている分野や事項でも交渉の余地があると考えられる。

(注1)大枠合意については、USTR, “Outline of the Trans-Pacific Partnership Agreement” (http://www.ustr.gov/about-us/press-office/fact-sheets/2011/november/outlines-trans-pacific-partnership-agreement)、日本語は、外務省の仮訳「環太平洋パートナーシップ(TPP)の輪郭」を主に引用している。

(注2)外務省、「P4協定等における自由化の状況」、「TPP交渉の24の作業部会において議論されている個別分野」添付資料(2011年2月1日)および USTR, U.S.-Australia FTA Long Summary of the Agreement 2004
http://www.ustr.gov/trade-agreements/free-trade-agreements/australian-fta

(注3)内閣官房ほか(2011)4頁。

(注4)金融了解(UNDERSTANDING ON COMMITMENTS IN FINANCIAL SERVICE)の原文と邦訳については、外務省経済局サービス貿易室編「WTO サービス貿易一般協定 最新動向と各国の約束」日本国際問題研究所、1998年 を参照。

(注5)基本電気通信の交渉と参照文書について、外務省経済局サービス貿易室編前掲書を参照。

(注6)投資家対国の紛争解決規定が注目される契機となったのは、NAFTA投資章の規定によるエチル事件である。エチル事件を含めての投資家対国の紛争解決についての詳細な説明は、小寺彰「国際投資協定:現代的意味と問題点-課税事項との関係を含めて-」RIETI Policy Discussion Paper Series10-P-024 、2011年を参照。

(注7)間接収用については、米国の2004年モデル投資協定(2004 Model BIT)に、「まれな場合を除き、公衆衛生、安全、環境などの正当な公共の福祉の保護のための無差別の規制行為は間接収用を構成しない」と規定されている(annex B)。
http://www.state.gov/documents/organization/117601.pdf

(注8)通商弘報2011年8月23日「TPPで個別交渉進む-FTAの最新動向」(米国)による。この情報の出所は、Inside US Trade 誌、8月10日、11日である。

(注9)米シンガポールFTAの4条10項、EDSについては、佐々木高成「東アジア通商戦略をリードする米物流産業」、『季刊国際貿易と投資』No.57 ,2004年秋号を参照。

(注10)内閣官房ほか(2011)の説明による。

(注11)長島・林(2008)84頁。

(注12)長島・林(2008)144~145頁。

(注13)TRIPs協定と公衆衛生に関するドーハ宣言については、http://www.wto.org/english/thewto_e/minist_e/min01_e/mindecl_trips_e.htm)

(注14)ニュージーランドのテキストは、TPP Text submitted by New Zealand Chapter “X” , IINTELLECTUAL PROPERTY, 米国のテキストは、Trans-Pacific Partnership Intellectual Property Rights Chapter Draft February 10,2011 (http://keionline.org/sites/default/files/tpp-10feb2011-us-text-ipr-chapter.pdf)

(注15)国際貿易投資研究所「米国のアジア太平洋政策におけるFTAの意義と位置づけ」2011年、94~105頁。

(注16)米豪FTAとPBSについては、Patricia Ranald, ‘The Politics of the TPPA in Australia’, Jane Kelsey, ”No Ordinary Deal Unmasking the Trans-Pacific Partnershio Free Trade Agreement”, Allen &Unwin, 2010, p49, を参照。 John Quiggin, ’Lessons from the Australia ?US Free Trade Agreement, ibid. は、「PBS制度はオーストラリアの医療政策を特色づける中心的な政策であり続けた」(p106)と評価し、Thomas Faunceand Ruth Townsend,’ Quarantine and Food Safety Issues in a TPPA、Ibid. は、米豪FTAによるPBSの変更は国民医薬品政策の重要な柱を変えることはなかった」(pp 153-155)と評価している。

(注17)USTR,Trans-Pacific Partnership Trade Goals to Enhance Access to Medicines、(http://www.ustr.gov./webfm_send/3059)、日本語は、外務省「医薬品へのアクセスの拡大のためのTPP貿易目標」(外務省仮訳)、2003年11月

(注18)超党派合意については、国際貿易投資研究所「オバマ政権の通商政策動向と対アジアFTA政策」2010年、14~15頁。

(注19)Ian E. Fergusson, Bruce Vaughn (2010), The Trans-Pacific Partnership Agreement, Congress Research Service

フラッシュ一覧に戻る