一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2015/09/15 No.248ユーロ導入後のリトアニア経済

川野祐司
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
東洋大学経済学部 准教授

1.はじめに

2015年1月からリトアニアがユーロを導入し、8カ月が経過した。旧通貨リタス(LTL)はわずか2週間で法定通貨ではなくなり、1月中旬からユーロのみが流通している。これで、エストニア(2011年にユーロ導入)、ラトビア(2014年)に続き、バルト諸国はすべてユーロ地域(euro area)に含まれることになった。自国通貨からユーロへの切り替えで必ず出てくるのが通貨切り替えに伴う物価上昇(いわゆる便乗値上げ)である。本稿では、これまでの物価の状況について見ていく。また、2015年8月の終わりにリトアニアを訪れる機会があり、私が現地で見てきた状況も交えてリトアニア経済の動向を見ていく。

2.2015年のリトアニア経済

川野(2015a)でも指摘したが、バルト諸国はEU加盟後にブームを経験し、2000年代後半には大幅なバストも経験した。バストの後、支出削減を中心とした財政再建を進め、ユーロ導入のための収斂基準を満たした。エストニアが早くからICT産業の振興を進め世界をリードしているのに対して、リトアニアは産業の高度化は道半ばである。

リトアニアのGDPは図表1のように推移しており、ユーロ地域よりも好調であるが、2015年に入って成長率が鈍化している。Lietuvos bankas (2015)はその理由として輸出の不振を挙げており、特に対ロシアの輸出減少が景気の足を引っ張っている。

その一方で、消費は2011年以降GDPを支えている。その要因の一つとして、ここ数年、銀行の貸出金利が対家計、対企業ともに低下しており、2015年に入っても低下が続いている。消費者ローンは2015年7月には対前年同月比で6.4%増えている。新しい自動車の環境規制であるEuro6に対応した乗用車への買い替えも増えており、これらの旺盛な消費意欲が経済成長を支えている。実際に、リトアニアだけでなく、バルト諸国では新しい車を見ることが多い。特にドイツ系のメーカーの車をよく見かけた。

図表1 リトアニアのGDPの推移

(出所)Lietuvos bankas, Monthly Bulletin, 2015/7.

住宅ローンの貸出も2015年に入って対前年同月比で2ケタの伸びが続いており、2015年7月では+41.4%に達している。

EUは輸送ネットワークの整備を進めるTEN-Tというプログラムを持っている。バルト諸国はドイツ、ポーランドなどとフィンランドなど北欧との中間点にあり、近年輸送網の整備が進んでいる。リトアニアでも「Rail Baltica」などの巨大プロジェクトに関連した投資が堅調である。

EUでは主要道路にはE245などのE付きの番号が付けられており、高速道路に多く割り当てられている。リトアニアではA付きの道路が主要道路である(バルト諸国では乗用車は無料で通行できるが、トラックやバスは有料となる)。ビリニュス、カウナス、クライペダ、シャウレイが4大都市であり、それらを結ぶ主要道路にAが付けられている。A1(E85:ビリニュス=カウナス=クライペダ)やA2(E272:ビリニュス=パネベジュース)は大部分が片側2車線または3車線であるが、A8(E67:カウナス=パネベジュース)、A11(E272:クライペダ=シャウレイ)、A14(ビリニュス=ウテナ)やなどその他の多くは片側1車線であり、中央分離帯もない。このような道路は90km/hが制限速度となり、物流面で考えるとインフラ整備はまだまだ必要であると感じた。ちなみに、A14沿いにはヨーロッパの地理的中心地がある。

ただし、8月下旬から9月上旬にかけて3500kmほどバルト諸国を運転した経験からは、リトアニアは3カ国の中で最も道路状況がよく、その次がエストニアであり、ラトビアは整備状況が最も悪かった。特にラトビアでは、東部に位置するラトビア第2の都市ダウガフピルス周辺やリトアニアのザラサイへの道路(E262、ラトビアではA13、リトアニアではA6)などは延々と工事個所が続いており、物流に支障が出ているものと思われる。さらに、バルト諸国の地方では大型トラックが頻繁に通行する主要道路であっても未舗装路面が多く、通過スピードが遅くなっている。これらの整備にはまだ数年はかかるだろうが、物流面での整備や投資などのビジネスチャンスが多く眠っているともいえる。

ムーディーズは2015年5月8日にリトアニアの格付けをBaa1からA3に格上げしたが、その理由として好調なリトアニア経済、財政再建とともにユーロ参加を挙げている。リトアニアは小国であり世界経済の影響を受けやすい。資源価格の変動や対ロシアへの経済制裁の悪影響を受けているものの、今のところは堅調な内需に支えられている。

3.ユーロ切り替えで物価は上昇したか

Lietuvos Bankas (2013)はユーロ切り替えにより0.2-0.3%の物価上昇を予想している。この理由の一つに、消費者が正確な換算ができないことを利用した店側による便乗値上げを挙げていた。ビリニュスで衣料品店を営んでいる女性に物価について聞いてみたところ、ユーロに切り替わって食料品、特に野菜の価格が上がったという。ユーロとリタスの換算が難しいと言っていた。

実際には、資源価格の下落などの影響を受けて消費者物価指数は2015年に入って下落傾向にある。図表2のように2015年はデフレに陥っており、リトアニア中銀も2015年のインフレ率は-0.3%と予想している。

図表2 リトアニアの消費者物価指数の推移

(出所)Lietuvos bankas, Monthly Bulletin, 2015/7.

それでも通貨切り替えの便乗値上げを多くの消費者が心配していることは川野(2015a)でも指摘した。この対策として、切り替え後の初めの6カ月間はリタスとユーロの二重表示が義務付けられた。8月下旬でもスーパー、デパート、ショッピングモール、野外マーケット、博物館等の観光施設など私が訪れたすべての場所で二重表示が続けられていた。便乗値上げはしていませんよ、という意思表示であろうか。

博物館等は主な相手が観光客であり、外国人も多く含まれると予想される。外国人に対してはキリのいい金額を提示できると思われるが、EUR1.74=LTL6のような料金設定になっていた。そのため、リトアニアでは1セントや2セントのコインがかなり頻繁に使われている。2014年にユーロを導入したラトビアでは、観光施設の多くでEUR2.50やEUR8などのキリのいい価格が設定されていた。リトアニアでも価格改定などを通じて徐々にキリのいい数字が定着していくだろう。もちろん、スーパーなどではEUR1.98などの価格設定は消えないだろう。

物価の動向について、もう少し詳しく見てみよう。リトアニア統計局(Statistics Lithuania)は、消費上位100品目の価格動向を調査している。一般の人々が肌で感じる物価をより表しているといえるだろう。図表3はユーロ導入前後の価格を見たものである。

図表3 2014年12月から2015年1月にかけての価格変化

(注)データはStatistics Lithuania(Oficialiosios statistikos portalas)ホームページより。映画は休日の夕方割引の価格、チキンケバブは持ち帰り用、紅茶はティーバッグを指している。水餃子は日本でみるような形の他、様々な形のものがあるがリトアニアでは伝統的な食品である。

消費上位100品目の単純平均は-0.1%となっており、消費者物価指数の-1.5%よりは高いものの、便乗値上げがあったとは言えない。ただ、鶏肉(2.0%)、七面鳥肉(2.0%)、鯉(2.7%、リトアニアでは水槽に入った生きたままの鯉が売られている)、チーズ(3.1%)、ヒマワリ油(2.5%)、瓶詰グリーンピース(2.7%)などの値上がりが一般の消費者に目立つのではないだろうか。その一方でクッキー(-2.4%)、長粒白米(-3.5%)、オートミール(-2.2%)ニンジン(-3.6%)、ザウアークラウト(-3.2%、酢漬けキャベツ)など値下がりしている品目もある。

消費上位100品目には燃料や生鮮食品など天候や国際市況などの影響を受けやすく、値動きの大きい品目が多く含まれており、ユーロが物価の変動を起こしたかどうかを判断するのは難しい。

図表4は、2015年の1月から8月までの価格変化であり、ユーロ導入後の物価動向を見たものである。

図表4 2015年1月から8月にかけての価格変化

(注)データはStatistics Lithuania(Oficialiosios statistikos portalas)ホームページより。小玉リンゴは直径8センチ未満のもの、ブドウは種ありのグリーンのものを指しておりスーパーなどで安く売られている。カードは牛乳などから液体(ホエー)を分離した残りの固体状のもので、リトアニアではカッテージチーズがよく売られている。

野菜が値上がり上位に、乳製品やエネルギー関連が値下がり上位に来ている。野菜類は日本のように1年中安定して同じ品質のものが同じような価格で売られているわけではない。例えばキャベツやジャガイモは年に2回収穫されており、春に収穫されるキャベツやジャガイモは出始めのころは価格が高く月を追うごとに価格が低くなる。2015年でみてみると、5月にはキャベツが1kgあたり1.22ユーロであったものが8月には0.35ユーロにまで値下がりし、ジャガイモも5月は1kgあたり0.89ユーロが8月には0.41ユーロに値下がりしている。このような季節による価格の変動が激しいが、一般の消費者にはユーロのせいだと思われる可能性もある。

4.まとめ

リトアニアはユーロ導入後も経済は堅調に推移している。外部環境は良くないが、内需が旺盛である。失業率はEU平均と同じくらいの水準でわずかに低下傾向にあるが、賃金は上昇傾向にあり、これが消費を支えている。ただし、住宅価格の上昇や家計負債の増加は北欧諸国と同様に経済の大きなリスクとなるだろう(例えばスウェーデンについては、川野、2015b)。

金融部門はDansk Bank、Nordea、SEBなど北欧の銀行が進出しており、クレジットカードの決済は主にSEBが担っている。ちなみに、バルト諸国では日本で主流の磁気カードのサイン式クレジットカードは使えない店がかなりあり、チップの付いたPIN入力式やデビットカードが主流となっている。クレジットカードはVISAやEuroMasterが多く、Amexが使えるところは少数であり、Dinersは全く使えなかった。ユーロ地域ではSEPA(単一ユーロ経済圏)というプログラムが進んでおり、デビットカードが国境を越えて使えるようになりつつある。ICTの進んだエストニアでは街中の駐車料金などはSMSで支払うようになっており、日本よりも早くキャッシュレス化が進みそうである。

2014年以降の資源価格の低下や、おそらく対ロシア制裁のためにヨーロッパ内に生鮮食品が滞留しているなどの理由により、ユーロ切り替え後の物価上昇は見られなかった。複数通貨の管理コスト削減など、一般の人々もユーロ導入のメリットを徐々に感じていくだろう。ラトビアとエストニア国境をまたぐ町がある。ラトビア側ではヴァルカ、エストニア側ではヴァルガといい、2007年のシェンゲン協定参加後は国境管理が廃止され自由に行き来できるようになっている。ヴァルカではラトビアラット(LVL)、ヴァルカではエストニアクローン(EEK)が使われていたが、不便な状況が、2011年のエストニア、2014年のラトビアのユーロ導入で解消した。現地の人は非常に便利になったと言っていた。リトアニアとラトビアの国境付近の町でも同様の不便が解消されるだろう。

その一方で、自律的な金融政策を失うデメリットは特に不況期に顕在化する。EU加盟後の経済を見てみると、バルト諸国は景気の振れ幅が大きい。2000年代後半の不況期を構造改革で乗り切ったが、ブームを冷やすための金融政策はECBが担うことになる。ECBはユーロ地域の平均値で行動するため、経済規模の小さなリトアニアのブームに対策を打ってくれる可能性は小さい。金融政策に頼らない、プルーデンスな政策がこれまで以上に求められることになるだろう。

参考文献

川野祐司(2015a)「リトアニアのユーロ導入」『季刊国際貿易と投資』、第99号、pp.108-118.

川野祐司(2015b)「スウェーデンのマイナス金利政策の意味」『ITI調査研究シリーズ』、No.15.

Lietuvos Bankas (2013), Impact of the Euro Adoption on the National Economy: An Overview of the Quantitative Assessment.

Lietuvos bankas (2015), Lithuanian Economic Review, June 2015.

Moody’s (2015), Moody’s upgrades Lithuania’s government bond ratings to A3; stable outlook, 8 May.

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