一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2019/03/19 No.419米朝首脳会談の決裂と北朝鮮経済

今村弘子
(一財)国際貿易投資研究所客員研究員

1. 米朝首脳会談の決裂の背景

2019年2月27-28日にベトナムのハノイで開催された2回目となる米朝首脳会談は、「ビッグ・ディール」でも「スモール・ディール」でもなく、「ノー・ディール」に終わった。なぜ交渉は決裂したのか。米国側の説明によると、北朝鮮が非核化については寧辺の核施設の廃棄しかあげなかったのに対し、制裁の完全な解除を要求したからだという。

一方北朝鮮は、国連の制裁解除の要求は「全11件のうち、2016年以降の5件である」として3月1日未明に異例の記者会見を行った。5件といえば、確かに一部の解除のようにもみえるが、2016年以降の経済制裁では、北朝鮮からの石炭や鉄鉱石をはじめとする鉱産物および水産品、さらには2010年代以降主力輸出産品になっていた縫製品などの輸出を禁止し、労働力の海外派遣までも制裁対象になっている。つまり北朝鮮の主要な外貨獲得の手段を制裁の対象としてほぼ網羅しているのである。また経済制裁には2016年以前に中国から輸入していた量を上限として原油や石油製品の輸入も含まれていた。つまり北朝鮮は、海上で船から船へ積み荷を受け渡す瀬取りをしなければ原油や石油製品を確保できなくなっていたわけである。

米朝首脳会談前の予想では体制の保証にも繋がる朝鮮戦争の「終戦宣言」を北朝鮮が要求するのではないかとも思われていたが、経済制裁の解除に固執したということは、それだけ経済制裁が効果をあげているのだろう。

実際、米朝首脳会談が行われる1週間前の2月21日(現地時間)に国連のドゥジャリク事務総長報道官は、北朝鮮政府が食糧難で国際機関に支援を要請してきたことを明らかにしている。北朝鮮の金星国連大使が国連に食糧難を訴える公文を送っており、そのなかで、食糧難の要因として、異常気象や自然災害の他に、経済制裁のために農業生産に必要な資機材が入手できなかったからだと述べている(注1)。FAO/WFPが現地調査をして北朝鮮の食糧不足の様子を世界に訴え、ドネーションを求めることは行われていたがが、北朝鮮自らが食糧難を国際社会に訴えることは珍しい。1997年の経済危機の時代に新華社を通じて世界に食糧援助を求めて以来だと思われる。それだけ経済制裁が非人道的だとしてアピールしたかったのであろう。

ただし制裁の効果については、北朝鮮の物価が上がっていないことや自動車の通行量が変わらないことなどから、疑問を持つ人々もいた。確かに1990年代の北朝鮮の全国的に餓死者がでて、「苦難の行軍」といわれた時代とは異なっている様子であった。現在北朝鮮ではトンジュ(金主)といわれるブローカーたちが存在し、国内の流通を担っていることから、国内で生産されたモノや密輸されたモノが流通している。このため人々の暮らしはそれほど困窮している様子が見られない。このため経済制裁は効果がないのではないかというのである。

2016年以降の経済制裁では国連加盟国は北朝鮮からの鉱産物資源の輸入ができなくなった。ということは鉱物資源の貿易を管理している権力中枢に外貨が入って来なくなることを意味している。だからこそ金正恩委員長は経済制裁の解除に固執したのであろう。

交渉決裂の背景には、さらに会談前にトランプ大統領が、「非核化すれば、北朝鮮は経済発展するだろう」と繰り返し述べていたこともあげられる。金正恩委員長にとってみれば、経済発展には欠かせない制裁の解除を米国が一部でも行うのではないかと期待したのかもしれない。会談場所がハノイになったのも、かつては米国と戦争をしていたベトナムも、ドイモイ(刷新)政策を行い、米国と国交を樹立したことによって、経済発展を遂げてきたモデルケースとして北朝鮮に見せるためともいわれていた。さらにトランプ大統領が国内で難題を抱えていることからすれば、実務者交渉では合意に至らなかったが、トップ会談で容易にトランプ大統領の妥協を引き出すことができると金正恩委員長が考えたとしても不思議はあるまい。

2. 北朝鮮経済の今後

米朝首脳会談の決裂によって、正規に外貨が北朝鮮に入ってくる見込みがなくなった。北朝鮮としてみれば、最低ラインとしても、韓国との間の金剛山観光や開城工業団地の再開によって、外貨を獲得できると考えていたのではないか。得られた外貨によって、更なる観光資源を開発していくつもりだったのだろう。現在、金正恩委員長の肝いりで進められている元山葛麻や三池淵などを新たな観光地とすべく、ホテルなどの観光施設を建設しているのだが、インテリア資材を輸入できず建設が中断しているという。

3月8日付北朝鮮の労働党機関紙「労働新聞」は署名入りで「民族自尊は朝鮮の生命」であることを強調する論説を発表した。このなかで、「国と民族の尊厳と栄誉を輝かすための決定的要因は決して物質的土台や天然資源にあるのではなく、民族自尊の精神にある」とし、さらに「自力更生の旗印を高く掲げて進むところに民族の尊厳と栄誉を輝かし」「外部勢力への依存が隷属の道、亡国の道であるなら、民族自尊は国の強盛・繁栄を成し遂げていく近道である」ことを強調している。国内にむけて外部をあてにできないので、自分たちでなんとかしろ、と迫っているようでもある。

おりしも国連の安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会の専門家パネルは3月12日に、年次報告書を正式に発表した。制裁委員会の議長国ドイツの大使は、今後の「主要な課題は(制裁の)履行だ」と主張した(注2)。2018年3月の金正恩委員長の初訪中以来、少し取り締まりが緩んできたように見えた経済制裁も、再び厳しく取り締まりが行われる可能性もある。

北朝鮮の経済はどうなるのか。

北朝鮮は2018年4月にそれまでの核・ミサイル開発と経済建設の並進路線から経済建設に舵を切り替えた。北朝鮮自身は「改革開放」という言葉を使ってはいないが、工業企業では独立採算制がとられ、農業では圃田制と呼ばれる改革開放直後の中国の請負制のような制度ができあがり、また前述のトンジュたちによって流通さえも自由化されている。いわば「なし崩しの市場化」が始まっている。

ただし一方では米朝首脳会談以前から「社会主義の堅持」が言われている。なし崩しの市場化によって社会の規律が緩みだしていることから、労働党の権威を保つために、あるいは政治的な引き締めを図るためにいわれているのではないか。しかし「社会主義の堅持」を強調するあまり、トンジュの取り締まりを行い、市場を閉鎖するようなことがあれば、北朝鮮経済はたちまち委縮して、あるいは場合によっては瓦解してしまうだろう。「なし崩しの市場化」を堅持しつつ、社会主義の堅持はできるのか。共産党の力を再び強め、米国と対立しながら、以前よりは成長が鈍化したとはいえ、経済発展を遂げている中国が、経済システムとしてだけではなく、政治と経済の関係性のありようとして、北朝鮮の発展のモデルになれるのかもしれない。

<注>

1. 2019年2月22日「朝鮮日報」(日本語版)

2. 2019年3月13日「日本経済新聞」

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