一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2020/06/02 No.465新型コロナの「食」への影響と国際協調

安部憲明
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
外務省 経済局国際貿易 課長

はじめに

本稿は,経済協力開発機構(OECD)が4月29日に公表した政策ペーパー『新型コロナウイルス感染症と食料農業セクター:論点と政策対応(COVID-19 and the Food and Agriculture Sector: Issues and Policy Responses)』(以下,「本ペーパー」とする)に示唆を得つつ,新型コロナの農業に対する影響及び今後の国際協調の方途を中心に論ずる(注1)。

新型コロナの「食」に対する影響について見聞しない日はない。農業の幅広い経済社会,環境面の諸機能や国際的な広がりを考えれば,国際機関による分析や政策提言に親しむことは,緊急対応局面はもちろん,「コロナ後」の中長期的取組において,農業の政策見直し・構造改革に係る政府の企画立案及びフード・チェーンの各段階に参画する事業者の経営判断にとって極めて有意義である。

OECDはこれまで,新型コロナの影響について「ビジネス及び主要経済セクター」,「財政金融」,「貿易・サプライチェーン」及び「教育・技能」等12の政策分野について初期的な見解を政策ペーパー等の形で意欲的に公表してきている(注2)。この中で,筆者が食料農業セクターを特に紹介する理由は以下の3点である。

第一に,国際貿易を通じ比較的長く広く連鎖するフード・チェーンを通じて生産,消費及び加工・流通の段階において検討すべき論点が多岐に亘るためである。本ペーパーを読み,上流から下流まで,農業,製造加工業及び流通や外食等サービス業の実態は複雑かつ千差万別であることが分かる。

第二に,農産品・食料は,生命・健康保護の観点から医療用品と並び必需品である。それだけに輸出規制等を通じ需給が逼迫し世界的な混乱を招く危険が高い。事実,2007-08年の世界食料価格危機の際には,市場価格が高騰し,その後の価格モニタリング等の国際協力につながったという側面がある。

第三に,本ペーパーは,今後の詳細な統計に基づく実証分析を待つ必要があるものの,新型コロナと国際貿易に関するOECDの総論的言説(ナラティブ)と表裏一体で整合し,筆者が別稿で抽出した着眼点に沿って国際協調の現状を検証する嚆矢の事例として最適と思われたためである(注3)。

1.現状分析

本ペーパーは,冒頭,現在の食料生産見通しは良好であり,穀物備蓄が史上三番目に高い水準に達するとの予測もあり,主要農産品の供給は十分にあるため,新型コロナが,世界的な食糧危機に発展する理由はないと述べる。同時に,十分な供給量という安心材料とは別に,新型コロナを原因とするフード・チェーンの各所における阻害要因により複雑な形で食料需給の混乱が発生する可能性を指摘する。特に,労働集約的な一次産品の生産に依存する輸出国,逆に,自給率が低い輸入国の食料安保及び経済に深刻な影響が出る可能性に警鐘を鳴らしている。本ペーパーが示す,フード・チェーンの生産,消費及び流通加工の3段階における新型コロナの影響に関する現状分析は以下のとおりである。

(1)生産(農業生産及び所得への影響)

越境規制や都市のロックダウンに伴う人の移動制限は,生産現場における作付けや収穫に従事する労働者不足を引き起こしている。特に,欧州のシェンゲン域内の季節労働者の移動制限は,収穫期には一層深刻になり得る。また,後述する消費傾向の変化は,食料の余剰・損失(フードロス)の増加,貯蔵施設の逼迫及び在庫管理費用の増加等による生産者収入の減少等を招いている。さらに,種子や肥料等の生産における中間投入財の供給減と価格上昇も懸念される。

(2)消費(需要の変化)

消費需要や嗜好の変化によるフード・チェーンへの影響は複雑である。例えば,レストラン等の休業に伴う消費者の外食機会の急減,学校給食等の固定的大口需要が蒸発している。その一方で,スーパーなど小売の店先での需要が増加している。また,高級嗜好食品から基礎的な食材及び簡単に調理できる食品への消費志向の変化,インターネット上を介した購買と配送の増加,業務用から小口の自家消費用への消費シフト及びそれに伴う商品一個当たりの分量減と単価増,消費者向け梱包(パッケージ)の拡充などの変化が見られている。現時点でこうした変化は短期的なものと見られているが,消費者の嗜好や行動が中長期的に変われば,生産加工及び流通の適応力が問われることになる。

(3)流通(フード・チェーンの停滞や混乱)

特に,「三密」環境にある食品加工ラインの労働力不足,従業員への感染防止対策等に伴うコスト増は,特に,穀物や保存食品よりも,品質保証期間の短い生鮮食料品の包装や調理等の製造加工の現場で切実な問題である。また,食品安全及び品質検査(動植物検疫や技術的審査を含む)等の要員不足による手続の遅延が生じている。さらに,同様に輸送に係る労働力の不足及び貨物輸送費等の高騰も深刻である。

2.政策提言

本ペーパーは,以上のような現状認識に立脚し,「ファーム(農場)からフォーク(食卓)まで,強く柔軟なフード・チェーンが食料制度を機能させるために必要だ」として,今後の政策提言の方向性を以下のとおり示している。

(1)市場の開放,透明性及び予見可能性の維持

第一に,市場の自由流通の維持と各国措置の透明性の確保が必須である。

各国政府の情報公開に加え,WTOへの通報は透明性を担保する手段のひとつであるが,5月14日現在,126件の貿易関連措置が通報されており,うち「食料」及び「農業」で検索される措置は8加盟国21件(国別の内訳は,タイ6件,フィリピン4件及びインドネシア3件等,措置別の内訳は,衛生植物検疫措置(SPS)協定に基づくものが8件及び貿易の技術的障害(TBT)に関する協定に基づくものが7件等)である(注4)。また,国際機関が協力して運営する「農業市場情報システム(AMIS: Agricultural Market Information System)」を通じ,市場情報の集約・公開,政策対話を行ってきている。AMISには,5月20日現在で新型コロナを契機とする23カ国の30件の輸出規制が掲載されており,WTO未通報の措置も含まれる(注5)。

第二に,買い占め・買いだめ等による混乱を防ぐための政府当局による正確な情報提供とメッセージが重要である。この点,国際的にはG20農業大臣が,4月21日の臨時会議後の声明で「AMISの作業を強調し,現在世界には十分な食料供給があり,食料市場はバランスがとれているとの評価に留意」し「世界の食料市場のファンダメンタルズに関する適時かつ信頼性の高い情報を提供し続けることにコミットし,他のメンバーにも呼び掛け」た(注6)。また,日本国内では,菅義偉官房長官が2020年5月1日の記者会見で,店頭の品不足傾向が見られた小麦粉について,国内備蓄もあり不足していない,大型連休中もメーカーがフル稼働で生産・供給を行うと説明し,落ち着いた購買行動を促した。

第三に,各国は,需給不均衡や価格乱高下の市場の混乱につながる貿易制限的措置を控えるとともに,「コロナ後」には,国内及び国際的な農産物市場の開放度を一層高めるべきである。

(2)貿易コストの最小化

第二は,貿易関連手続の円滑化である。例えば,ブラジルやフィリピン等は,SPS協定及びTBT協定に基づく事業者からの衛生植物検疫証明書を当局が電子的に受け付けるとして,現下の物理的移送や移動に係る負担をデジタル化された効率的な手続を導入することで軽減しようとしており,これらの法令改定はいずれもWTOにも通報されている。

このような先行事例が情報共有され,国際機関の会合等で,WTO協定や自由貿易協定との整合性や費用対効果等の検証などを経た後に,国際的に調和された新たな貿易投資円滑化のための基準・雛型となっていくことが期待される。

(3)フード・チェーンを通じて偏在する労働力不足への対応

上述したような生産加工,流通及び安全検査等のすべての段階における労働者不足によるボトルネックを解消するための措置として,本ペーパーは,各国政府に対し,①フード・チェーンに従事する労働者を生活に必要不可欠の(critical)人員として指定する,②生産者が,外国人を含め季節労働者を雇用出来るようにするために政府は入国や雇用条件に関する規制を緩和する,③他の業種の失業者及び雇用止めに遭った労働力及び学生等の代替農業従事者を積極的にマッチングさせる,④感染防止のために職場の保健衛生対策を万全にする等の対応を講じるべきである。

(4)バイオセキュリティの保全(注7)

「次なる新型コロナ」に備え,今回のような感染症が蔓延した場合の科学的証拠の収集及び情報伝達,野生生物の食肉加工・消費に関する規制を厳格に実施することが必要である。本ペーパーは「ワンヘルスアプローチ」に沿って,人獣共通感染症の監視,早期警戒,備え,予防,発見,対応及び制御のためのメカニズムを強化すること,並びに人獣共通感染症の管理のためのより厳格な安全性と衛生管理の国際的なガイドラインを科学的根拠に基づき策定することを求める。

(5)食品の流通促進

①食料だけでなく,種子,殺虫剤及び畜産用医薬品などの貿易やロジスティックスを円滑化するための措置(上記(1)のような検疫や税関等に係る必要書類の電子化による手続の効率・迅速化を含む),②代替となる輸送経路を維持するための方策,③レストランや学校等における需要蒸発で失った納入先を家計やスーパーに積極的に振り分ける需給マッチング(小規模農家及び家計にとって有益であるとされる。日本国内では牛乳の例が報道された(注8)。),④食品安全を損なわない範囲での包装や表示の要件などの規制緩和等を検討すべきであるとする。

(6)影響を受けやすい脆弱な人及び国の栄養ニーズへの対応

G20農業大臣閣僚声明(4月21日)では,「国際市場における食料価格の過剰な乱高下につながり,世界人口の大部分,特に食料安全保障が低い環境で生活している最も脆弱な人々の食料安全保障と栄養を脅かしかねない,いかなる不当な制限的措置も行われないよう注意する」とし,「世界食糧計画(WFP)及びその他の人道機関が非商業的人道目的のために購入する食料及び農産品について,輸出規制や過剰な税を課さないとの合意を再確認」した。本ペーパーは,今後,害虫被害や天候不順等による飢餓・食料不足が発生した場合に,短期的に緊急食料支援や供給引当等の措置を講じる必要性も指摘する。

おわりに

本ペーパーは最後に,「コロナ後」の中長期的対応を検討する際の総合的・分野横断的視点の必要性を強調している。すなわち,農業を取り巻く趨勢的変動として,気候変動・地球温暖化,生物多様性及び病原菌・疾病を挙げ,「コロナ後」の農業政策は,これらの構造的要因を含め総合的に検討し,変革を図る必要があると説く。また,農業を経済社会全体のパラダイムの中で見直し,補助金等の政府支援は農業振興という第一義的な目的とは別に,気候変動を始めとする他の社会経済上の意義もあわせて改めて制度設計されるべきであると主張する。

本ペーパーは,世界の農業が等しく直面する「三つの課題(the triple challenge)」は,「①環境持続可能性を保ちつつ,②増加人口に安全かつ高価でない食料を供給し,③食料に携わる世界中の多くの関係者の生計を支える」ことだと述べる。OECDが本ペーパーの結語で指摘するように,「食」関係者は,新型コロナ危機を,気候変動,食料需要の変化,技術革新及び「蓋然性は低いが,一度起これば被害が壊滅的になる様々なリスク(”low probability, high impact” catastrophic risk)」等を踏まえ,市場歪曲的な政府補助の見直し,財政・金融面での支援,規制改革等の政策を統合して取り組むための好個の機会と捉えるべきである。

1. OECD事務局では,1961年の設立時の流れを汲み,貿易農業局(Trade and Agriculture Directorate)が農業政策を主管し,農業委員会,水産委員会及び貿易委員会(いずれも創設時から存在)を担当している。

2. 農業は,新型コロナに関する報告書等を紹介するOECDのHP上では,「Business & Key Economic Sectors」の欄に,投資,会社,保険及び競争政策等とともに分類されている。農業関連の業績には,例えば,作物の種子の流通に特化した分析ペーパー「種子セクターにおける政策対応」2020年5月4日公表(http://www.oecd.org/coronavirus/policy-responses/policy-responses-to-covid-19-in-the-seed-sector-1e9291db/)がある。

3. 拙稿「新型コロナ感染症と世界貿易:OECDのナラティブと当面の国際協調に関する11の着眼点」国際貿易投資研究所「フラッシュ第461号」2020年5月16日(http://iti.or.jp/flash461.htm)。本ペーパーは,拙稿で指摘した今後の国際協調を巡る11の着眼点のうち,(2)業種別の実態に関するミクロ分析,(3)透明性の確保,(5)新しい貿易投資ルールの策定,(6)サプライチェーンの強靭化,(8)脆弱な主体への支援,(9)国際協調の下支え及び(10)総合的・分野横断的なアプローチの7点をカバーしながら論じている。

4. これらの措置のWTO協定との関係に関し,国内需要を満たすこと等を目的とする輸出規制については,拙稿『世界貿易機関(WTO)の新型コロナ感染症対策』国際貿易投資研究所「フラッシュ第459号」2020年4月16日(http://iti.or.jp/flash459.htm)。なお,WTO協定との関係では,病原菌侵入への水際対策としての輸入制限措置に関し,SPS協定は,SPS措置は科学的証拠に基づくべきであり(同2条2項),特に,個別加盟国が国際基準から乖離した独自の高い保護水準を定める場合は,危険性評価に基づくことを求める(5条1項から3項)。新型コロナの拡散経路や危険性について未だ科学的証拠が十分でないが,その場合でも予防的な暫定措置を取ることは妨げられない(同5条7項)とする。この点,上級委員会は,危険性評価の実施に足る科学的証拠は不十分でも,少なくとも具体的な危険が存在する可能性を示す証拠,およびその危険に関する情報と暫定的措置の間に合理的・客観的な関係は必要となると判断したケースがある(DS320)。加盟国により通報された新型コロナ関連措置のWTOのHP上のリストは,検索機能を備えており実務上も非常に有益である(https://www.wto.org/english/tratop_e/covid19_e/notifications_e.htm)。

5. AMISは,2007から2008年及び2010年の世界的食料危機への対応として,2011年のG20首脳会議(仏カンヌ)で設立された。G20及びスペインを含む主要8か国が参加し,事務局はFAO,WFP,OECD等の国際機関で構成。①グローバル食料情報グループ(GFIG)が小麦,トウモロコシ,米及び大豆の主要対象穀物の生産・消費,貿易及び価格等の動向を統計調査し監視するほか,②各国高官が参加する「迅速対応フォーラム(Rapid Response Forum)」は早期警戒及び緊急対応を議論する。2012年の危機には価格乱高下を抑制するなど効果を発揮したと評価されている。また,2020年3月以降HP上で「新型コロナ食料貿易政策追跡ツール(Food Trade Policy Tracker)」を新設し,新型コロナに関連する食料輸出制限措置等をモニターし,毎日2回情報を更新・公開している。

6. G20農業大臣会議には,G20メンバー及び招待国に加え,国連食糧農業機関(FAO),国際獣疫事務局(OIE),OECD,国際農業開発基金(IFAD),世界銀行グループ,国連世界食糧計画(WFP),世界保健機関(WHO)及びWTOが参加した。閣僚声明を含め農林水産省のHP(https://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokusei/kanren_sesaku/G20_virtual.html

7. バイオセキュリティとは,一般に「ヒト(の健康)やその社会,経済,環境に重篤な影響をもたらす生物由来物質や毒素,またはそれらに関わる重要な情報の不正な所持,紛失,盗難,流用,誤用,流用,意図的な放出(公開)の防止,管理ならびにそれらの問題に関する説明責任」と定義される。『バイオセキュリティ―に関する研究機関,資金配分機関,政府機関,国際機関等の現状調査報告』科学技術振興機構(平成24年3月):https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2011/RR/CRDS-FY2011-RR-07.pdf8. 農林水産省の学校給食用牛乳の供給停止に伴う需給緩和対策等の施策について同省HP:https://www.maff.go.jp/j/chikusan/gyunyu/lin/dairyinfo_corona.html

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